勉強で得るもの

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勉強で得るもの

漢文や三角関数といった学問の表面的な違いに関係なく、勉強というものは、そこに沈潜した深さと、そこで過ごした歳月の長さによって、確実に人間に精神力をもたらします。

若いころの利発さは、むしろ欠点にさえなりかねない。何でも手際よく覚える子供は、それだけもの忘れも早いし、忍耐や努力という資質をみがき上げようともしない。ところが実際には、忍耐と努力こそがすぐれた人格形成にいちばん大切な要素である。そして、あまり出来のよくない子供のほうが、かえってこの美徳を否が応でも身につけていく。

『自助論』 S.スマイルズ著 竹内均訳(知的生き方文庫)p.236


学ぶことの意義について述べられた文章のうち、私は、次のシモーヌ・ヴェーユの言葉以上の言葉に出会ったことがありません。

今日では知られていないようだが、注意のはたらきを養うことは勉強の本当の目標であり、ほとんど唯一の利益なのだ。学校の勉強の大部分にはまたそれぞれ内在的な利益があるけれども、そういう利益は第二義的なものだ。 

・・・解き方を見つけたり、証明を理解したりすることは、本当に努力しなければならないけれども、それがうまく行くかどうかはあまり大事なことではない。どんな場合も、本当の注意の努力は決して無駄にはならない。いつもそれは霊的に十分な効果があり、したがってまた、そのうえ、もっと低い面にも、すなわち知性の面にも効果がある。なぜならすべて霊的な光は知性を照らすものだから。 

もし本当に注意して幾何の問題を解こうとしながら、一時間たっても、はじめからちっとも進んでいないとしても、その間の一分ごとに、もっと神秘的な他の次元を進んでいるのだ。それと知らなくても、感じなくても、外見では実りのないこの努力は、魂の中により多くの光をあたえている。

・・・人間が真理をもっとよくとらえられるようになりたいという望みだけで、注意の努力をするたびごとに、たとえその努力が何も目に見える実を結ばなくても、その人は真理をとらえる適性を大きくしているのだ。

・・・もし本当に望んでいれば、そしてもし望む対象が本当に光であれば、光の望みは光を生み出す。

・・・たとえ注意の努力が、外見は何年も実りのないままであっても、いつの日かそれらの努力に正確につりあった光が、魂に侵入するだろう。おのおのの努力は、この世のものが何も奪うことのできない宝庫に、少しずつ黄金を加える。アルスの司祭が長い苦しい年月ラテン語を学ぼうとした無益な努力は、彼が言葉の背後に、また沈黙の背後にも告白する信者の魂をみとめた素晴らしい識別力において、すべての実りをもたらしたのだった。

・・・うまく行かなかった課題練習のおのおのについて、そのみにくい凡庸さを正面から見つめ、長い間注意してながめて、言いわけを探さず、どんなあやまちも先生の訂正もなおざりにせず、おのおののあやまちの起源までさかのぼろうとするように努めることだ。

・・・とくに、学校の進歩のすべてよりも無限に貴重な宝である謙遜の徳は、こうしてえられる。

・・・学校の勉強の馬鹿な失敗に眼と魂の視線を無理に固定せざるをえないときには、自分が何か凡庸なものであることを、どうしてもはっきり感ずることになる。これほど望ましい認識はない。心をつくしてこの真実を知るようになれば、本当の道にしっかりと足をつけたのだ。

『神を待ちのぞむ』 シモーヌ・ヴェーユ 春秋社 pp.95-98

誠実に勉強すること

誠実に、丁寧に、徹底的に、確実に、少しずつ、あきらめず、忍耐強く勉強すること。西洋の言葉が分析的なのに対し、東洋の言葉は簡潔で含蓄に富み、心を奮い立たせるものがあります。。

ひろくこれを学び、つまびらかにこれを問い、つつしみてこれを思い、明らかにこれをべんじ、あつくこれを行う。学ばざることあれば、これを学びてくせざればかざるなり。問わざることあれば、これを問いて知らざればかざるなり。思わざることあれば、これを思いて得ざればかざるなり。べんぜざることあれば、これを弁じて明らかならざればかざるなり。行わざることあれば、これを行いてあつからざればかざるなり。人ひとたびしてこれをくすれば、おのれはこれを百たびす。人たびしてこれをくすれば、己はこれを千たびす。たしての道を能くすれば、なりといえども必ず明らかに、じゅうなりといえども必ず強からん。

『大学・中庸』 金谷治訳注 岩波文庫 p.204

(意訳)何事も学んで知識を広め、詳しく質問し、慎重に反省し、明確に分析し、丁寧に実行する。まだ学んでいないことがあれば、それを学んで十分になるまでやめない。まだ質問していないことがあれば、それを質問し理解するまでやめない。まだよく考えていないことがあれば、それを考えて納得するまでやめない。まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまでやめない。まだ実行していないことがあれば、それを実行して十分ゆきとどくまでやめない。他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百の力を注ぎ、他人が十の力でできるとしたら、自分は千の力を出す。そうすれば、たとえ愚かな者でも必ず賢明になり、たとえ軟弱な者でも必ず強者になるであろう。


とにかく誠実に勉強を続けること。そうれすれば、それは光となって外に現れるでしょう。

・・・まことなればすなわあらわれ、あらわるれば則ちいちじるしく、いちじるしければ則ち明らかに、明らかなれば則ち動かし、動かせば則ちへんじ、変ずれば則ちす。唯だ天下の至誠しせいのみ、するとす。

『大学・中庸』 金谷治訳注 岩波文庫 p.207

(意訳)誠があれば形をとって現れ、現れれば明らかに、明らかなれば輝き、輝けば感動させ、感動させれば改めさせ、改めさせると変化させる。ただ完全な誠だけが、大きな変化を及ぼすことができる。