小さなアドバイス集3
式を書く子ども、書かない子ども

これは本人の持って生まれた資質に関わる問題ですが、何も言われずに式を書く子どもと、何も言っても式を書かない子どもがいます。式を丁寧に書けるということは大変な美質です。式が書ける子どもについては、たとえ時間がかかろうと、その美質を守り、育てて下さい。
積み木に例えれば、式を書ける子どもは積み木を正確にずれること無く真上に積み上げられる子どもです。たとえはじめは遅くても、本人が努力を諦めさえしなければ、どこまでも高く積み木を積み上げることができます。
それに対して式を書かない子どもは、積み木を積むのが雑で、はじめは速いですが、ある高さまでくるとにっちもさっちもいかなくなります。5年生まで暗算で通用した子どもが、6年生になって問題が解けなくなるように。
「式を書きなさい」と言わずとも、式を書かないと解けないような問題がテキストに現れると(だいたい6年生の夏以降)、自然に式を書いて解くようになります。どうしても式を書かせたいなら、1人で解けなかった問題だけは、解き終わったあとに、式を書かせるようにすれば良いでしょう。自分が負けを認めた問題については、子どもも比較的素直に式を書きます。

「そうは言っても、はじめから式を書かせるようにすれば、もっといい学校に合格できるではないか」と思う方もいるでしょう。しかし、実際にやれば分かることですが、無理に式を書かせることで子どもの自尊心を傷つけ、勉強の楽しみ、親や教師への信頼を失わせるという弊害の方がはるかに大きいです。
ただし、中には、式をどう書いていいか分からない、図をどう描いていいか分からない、図も下手だし字も汚いので、書いてもすぐに怒られるから嫌だ、という子どももいます。そういった子どもには、ゆっくり付き添ってあげて、式の書き方、図の上手な描き方から、丁寧に教えて挙げなければなりません。そしてそのためにはたっぷりの時間が必要ですから、宿題は半分以上に減らさないといけません。小さい頃から大量の宿題を与えることが、そのような子どもを生み出したとも言えます。
求めると得られないもの

学校では習わないことですが、世の中には、求めようとすれば得られるものと、求めようとすれば得られないものがあります。
「求めようとすれば得られるもの」とは、例えば、物体Aを物体Bに衝突させて物体Bを動かすことができるように、自然界の物理法則、単純な因果関係に従うものです。
「求めようとすれば得られないもの」とは、精神的かつ高尚なものです。例えば、徳や名声、信頼、愛といったものは、手に入れようと努力すればするほど、手元から離れていきます。万が一、努力によって手に入れることができたとしたら、それがまがいものであることは、他ならぬ自分がよく知っているはずですし、他人も気づくものです。

お金は、精神的なものと物質的なものの中間にあります。自分の身の丈に合う金銭は努力すれば得られますが、それ以上を求めると、精神的なものを犠牲にすることになります。
知性にも段階があり、より物質的な低いレベルの知性、読み書き計算、単なる知識、復習テストの点数、といったものは、求めようとして努力すれば得られます。 しかし、より精神的で高いレベルの知性、深い思考力、洞察力、判断力、独創性(オリジナリティ)といったものは、求めようとして得られるものではありません。

このような知性は、「賢くなりたい」「良い成績を取りたい」といったはじめの動機を忘れて、問題に没頭し熱中する、その純度、そしてそういう勉強を続けた歳月の長さによって、ご褒美のように与えられるものです。
ですから、たえず競争心をあおったりご褒美をぶら下げたりして子どもに勉強させていると、勉強の純度がにごり、低いレベルの知性しか身につきません。「あの人、勉強はできるけど人間的にちょっとね」という言葉が指し示す通りの人間になるでしょう。