ヒルティの教育論2
教養・よい品性
真の教養の証拠は、第一に、精神の健康と力がしだいに高まってゆくことであり、次ぎに、一種のより高い聡明さがあらわれてくることである。そして最後に、その人の器量が独特の大きさを加えることである。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)p.162
教養は、たんなる知識の量ではなりません。
気立てのいい親切心は、よい性格のまちがいないしるしであり、動物虐待や悪口を好む癖は最も悪い性格の確かなあらわれである。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)p.100
よい品性の主なる要素は誠実と同情であります。どちらかでも欠ける場合は、二つともなければなおさらですが、人間は簡単に危険な猛獣に変質してしまいます。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.48
よい教育を受けたという特徴あるめじるしは、結局、年齢とか男女の別に関するちがい以外は、誰に対しても一様に礼儀正しいということです。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.80
ただし、小学生や中学生くらいの間は、恥ずかしがりや内気のせいで、気立ての良さが表に現れない場合があります。まわりの大人は、そういうことを察してあげる必要があります。
すべて小さいものを好むということ、貧しくて控え目な人々に対しても好感をよせるということは、性質のよい子供たちには自然のことで、これは注意して育ててやらねばいけません。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.48
自分より小さいもの、幼いもの、弱いものに対して、いつでも優しい人になりたいものです。
悪い性質
われわれは単純に自分の感情や気分のままに従ってはならない。・・・とくに子供は、幼い頃から、感情に負けないで、むしろそれを支配するように、きびしくしつけられねばならない。子供の気分にわずかでも譲ってはいけないし、それを重大にとってもならない。そうでないと、今日やたらに見受けるような、役に立たない、不幸な人間ができあがるのである。
『眠られぬ夜のために(第一部)』 ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳 (岩波文庫)pp.116-117
感情を意志や知性に従わせる訓練ができるのが、勉強の効用の1つです。感情に振り回される限り、人はまだ動物的段階を脱していません。
人間の最も悪い性質はうまれつきの不誠実である。この性質があったなら、ほかのどのようないわゆる良い性質も、すべてなんの役にも立たず、かえってその人をますます危険な人間にするばかりである。一方、誠実な性質があれば、そのほかのこの上なく困った性質をも償うものである。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)pp.101-102
丁寧な勉強は、誠実の徳性を養うことができます。
若い人が困難な試練をまったく受けることなしに、また、生来の利己心や虚栄心を根こそぎ捨て去らないうちに、えらい地位につくことは、非常に危険である。そういうことから、たいていの人生行路の失敗が生ずるのである。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)p.307
実力がない若いうちに有名になったり、不相応な収入を得ることは、子どもを必ず不幸にします。
虚栄はおそらく人間天性のうち最悪のものでしょう。というのは、それは、ありとあらゆる他の悪徳、嫉妬、憎悪、嘘、不正に至るからです。・・・見栄坊が天性である場合は、徹底的に根絶する必要があります。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.50
これは、我々大人に向けた言葉でもあります。
理想と勇気を与えること
子供に対しては、彼らのすることを待った上で「そんなことを二度としてはいけません」と言うよりも、「このことをしなさい、これは立派なことだから」と言う方がまさっています―――子供たちはそういう指導をもとめてさえいるものであって、余り言いつけられることがないと、ときにはうるさいくらいに、何をしたらいいか尋ねてくるものです―――。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.50
ただし、大人の方で立派なことを知っている必要があります。確かに、立派なことを知らなければ、否定的な注意しか与えられないでしょう。
人生においても、戦争の場合と同様、敗けることは何も悪いことではなくて、最悪の事態は降伏であることを、早くから子供たちに知らせておく必要があります。敗北からは容易に立ち直られますが、降伏の痛手はそう簡単に回復できないものです。「子から孫に至るまで悪魔と戦うこと」、これが「よき家庭」の最も高貴な特質であることを子供たちは小さい時から学ぶべきで、それ以外の性質をもった、いわゆる「幸福な家庭」など知らせる必要はありません。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.51
正義に限らず、子どもがチャレンジしたいことには、チャレンジさせてあげましょう。失敗は子どもを強くしますし、成功のもとでもあります。また、自分の実力を図ることもできます。
自己教育の必要性
われわれの意見では、教育というものは、一般に言われているほど重要なものではなく、また、教育についての仰々しいお喋りは大部分つまらぬものである。最上の教育を受けた者でも、それに続いて自己教育をしなければ、ちゃんとした人間にはなれない。反対に、最もよくない教育を受けても、そのあと自己教育によって、改善されるものである。どんな教育にもせよ、そのあと自己教育をつづける意欲を疲らせたり鈍らせたりするようなものは、すべて悪い教育である。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)p.299
すなわち、近代教育は一生学問をしつづけるほどの心身の力や喜びを生み出すかわりに、かえって早くからそのような能力をすっかり鈍らせ、葬り去って、あまりにも弱い体格の神経質な世代を育てあげるのではないかと疑われる。
『幸福論(第二部)』 ヒルティ著 草間平作訳 (岩波文庫)p.152
学校教育で学ぶのは、科学について言えば、その時代の最先端の仮説にすぎず、それ以外の人文系の学問については、年齢相応の理解しかできません。学校教育が終わっても、人は本を読むなどして、自己教育を続けなければいけません。その後の自己教育の意欲を失わせるような、苛烈な受験勉強をしてはいけません。
学校教育の欠点
公立学校ではどうしてもやむをえないことですが、功名心をかきたてて教育すること自体が、誤った原理に従っているわけで、現代社会の多くの不幸は、そのせいであり、さらに一歩すすめて、学校の教育原理全体が間違っているとさえ、おそらく言い得るのであります。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.110
一般に教育の難点のひとつは、名誉心です。あらゆる教育制度において、「その少しばかり」は必要ですが、成績表や卒業証書や賞状や展覧会などに普通見られるように「あまり多すぎる」と、学校における不正行為や虚偽をみちびき、人間の性質のうちで最もいやらしい腐敗的な性質である嫉妬心をそだて、あるいは神経衰弱をひき起こして、将来破綻をきたすものとなります。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)P.174
子どもに勉強させるためだと言って、あまり功名心、名誉心を掻き立てないことです。自意識ばかり拡大して実力が伴わない若者になると、大変不幸です。
大きすぎる富
それゆえ、何よりもまず、あなたのお子様がたは、単なる富を尊敬する気持ちをもつことなく、ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーといった名に対して、太郎や次郎といった名前と全く同様に、無関心でなければいけません。・・・あなた自身が、ただの金持ちを、明らかに無関心な態度で取り扱われるならば、その時には、金持が何か特別なものであるといった考えを、子供たちは全然思いつきもしないでしょう。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)pp.74-75
子供にいくらか分別がつくようになったら、あなたは適当な時に、大きな富をもつことがどんなに不幸なことであるかを説明し、手近にざらにある実例を使って、このことを証明されてもさしつかえありません。
『ヒルティ著作集6』 秋山英夫訳 (白水社)p.75
大きすぎる富は、必ず何らかの不正を元手にしています。身の丈に合わない富を持つこと、求めることは、必ずその人を不幸にします。「類は友を呼ぶ」という経験則を考えただけでも、そのような人たちの内面生活が地獄であることは、容易に想像できます。