算数の教え方+受験アドバイス

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小さなアドバイス集1

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一事を生かすは一事を省くに如かず

一利をおこすは一害を除くにかず。一事を生かすは一事をはぶくに如かず。

耶律楚材

子どもの成績を伸ばすために、受講する講座を増やしたり、宿題の量を増やしたり、問題集を買ってやらせたりなど、物事を増やすのは、誰にでも出来る簡単なことです。しかし、一流の親は、受講する講座を減らし、宿題の量を減らし、問題数を減らし、勉強の質を高めることを考えます。

スポーツやピアノの練習と勉強の違い

スポーツやピアノの練習は、理論を体に叩き込むことで、試合や発表会など、実践の場面で理性を働かせないことを目的としています。実践の場面で理性を働かせているようでは必ず失敗するからです。

これに対し勉強は、実践の場面で理性を働かせることが目的です。ですから、体に叩き込ませるような勉強をしてはいけません。そのためには、基本的な問題においても、体に叩き込むのではなく、できるだけ頭を使って考えるようにしないといけません。

知性を育てる

算数に限らず、学問全般においても日常においても、知性の働きは、

1.調べる → 2.規則を見つける → 3.規則を現実に適用する

という過程を踏みます。<5分考えて分からなければ解説を見て解き方を覚える勉強法>は、3つ目の「現実への適用」だけを練習するもので(計算問題もそうです)、1、2の過程が完全に欠けています。ですから、そのような勉強をしても、実力試験では問題が解けないし、実生活で役立つ知性も育ちません。

1、2の力は、究極的には教えることはできず、子どもが一人で獲得するしかないものです。1、2の方法を簡単に教えると、1、2の過程をひっくるめて「適用の練習」になり、同じ問題は解けても初見の問題はいつまでも解けない、ということになるからです。ですから、真の知性を育てようと思ったら、1問1問時間をかけてじっくり考えさせる、これ以外に方法はありません。

ダイエットと勉強の共通点

多くの人のダイエットが失敗するのは、目標を達成した後も、ダイエットを続けなければいけないからです。つまり、ダイエットにおいては目標はただの通過点に過ぎず、ダイエット自体を楽しめる境地にまで至らなければ、ダイエットに成功したとは言えません。

勉強も同じです。良い中学校に入ろうが良い大学に入ろうが、勉強は続けなければいけません。ですから、ある特定の目的のために勉強するのでなく(たとえきっかけはそうだとしても)、勉強そのものが楽しくならないようでは、勉強も成功しません。

目標と努力

目標というのは達成されるとすぐにそれが当然のものになり、新たな目標がはじまります。金儲けや享楽を人生の目標にする人が決して幸福になれない理由がここにあります。人生を数直線に例えると、目標はただの通過点、幅のない1点にすぎず、人生の全てを占めるのはすべて、目標に至るまでの過程、つまり「努力」です。

ですから目標を過大視して、その過程を疎かにしてはいけません。目標の達成ではなく、毎日の勉強の方法や勉強の姿勢が、子どもの人格を形成します。

宿題が多すぎて、雑に、いい加減に勉強することを余儀なくされている子どもは、それが子どもの習慣や性格にならないよう、宿題の量を減らし、1問1問丁寧に、しっかり考える勉強をさせてあげなければいけません。

子育ての目標

子どもを〇〇中学に入れる、〇〇大学に入れる、医者にする、弁護士にする、金持ちにする、など、具体的で表面的、物質的な目標を持っている親は、子どものことを 考えているようで、真に子どもことを考えてはいません。その考えは、いつも受け売りの知識と思い込みから出発し、子どもが意志を持たないことを前提とし、自分の安心と他人からの称賛をひそかな目的としています。一言で言えば、子どもの1人の人間として、自分と対等な人間として、尊重していません。

それに対して、真に子どものことを考えている親は、子どものがその天分に見合った環境で伸び伸びと学び、働き、成長し、誠実で、人に愛され、人の役立つような人になること、このような、抽象的、普遍的、精神的な目標を持つでしょう。

知性と愛情

知的だが愛情が薄い親よりも、知的でなくても愛情に溢れる親の方が、子どもには良い存在です。

知的だが愛情が薄い親は、子どもを自分の理想像に近づけることばかりに気を取られ、子どもの病気にも気づきません。それに対し愛情に溢れる親は、子どもの健康や精神状態を直接に感じ取ることができ、少なくとも道を踏み外すことはありません。

知的な親の考えは、子どものことを考えているようでいつも自分から出発し、愛情溢れる親の考えは、子どもそのものから出発します。そして、以上のことを理解している最も知性的な親は、子どもに対しては自分の知性を押さえ、知性が愛情を上回らないように気をつけ、常に愛情を欠かさないように努めるでしょう。

理性の最後の歩みは、自らを越えるものが無限にあることを認めることだ。それを知るところまでたどり着かなければ、理性は弱いものにすぎない。

パンセ(上)』 パスカル著 塩川徹也訳 (岩波文庫) p.228

見かけは美しいうそを、人を酔わせるむなしい高慢心を恐れるがいい。無知はけっして悪を生みださなかったこと、誤謬だけが有害であること、そして人は何かを知らないためにではなく、知っていると思っているために誤ること、そういうことを忘れずに、たえず心にとめておくがいい。

エミール(上)』 ルソー著 今野一雄訳 (岩波文庫)  p.372

 愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする。ただ愛のみがよく、人びとの本質と事物の実相とについての洞察を、また人びとを助けるための最も正しい道と手段とについての本当の透徹した洞察力を与えてくれる。

 だから、われわれは、あの事、この事について、何が最も賢い処置であるかを問うかわりに、なにが最も愛の深い仕方であるかを問う方が、たいていの場合、たしかに良策である。・・・なにが愛の深い仕方であるかについては、才分の乏しい者でも、自分を欺こうとしないかぎり、そうたやすく錯覚に陥ることはない。ところが、最も才能豊かな人でも、ただ賢さだけでは、将来のあらゆる出来事を正しく予見し、判断することはできない。

眠られぬ夜のために 第一部』 ヒルティ著 草間平作・大和邦太郎訳 (岩波文庫) p.161

真の完全な愛をもっている人は、どんなことにおいても自分自身の意図を遂げようとはしない。

イミタチオ・クリスティ』 トマス・ア・ケンピス著 呉茂一・永野藤夫訳 (講談社学術文庫) p.53

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